気胸入院メモ(日を追って思い出しながら)

1月第4週(17日~23日)

発症。普通に家で過ごしていた時、突然右胸が痛くなって呼吸が浅くなる。

大きく息を吸ったり吐こうとすると咳が出る。発話も困難になる。

気胸か?と思う。気胸は痩せた成人男性が多く発症するらしく、実際似たようにヒョロガリの友達が複数人なってるのを見てきたのでなんとなく察しがついた。

が、3年前に同じような症状が出て病院に行った時、肋間神経痛(ただの胸のあたりの神経がなんらかの原因で痛んでいるだけで、黙ってれば治る症状)だったのでその可能性もあるかなーと思う

気胸については3年前に結構調べてて、軽い症状であれば黙ってても治る怪我であることは知っていた。そのうえで、コロナが流行ってる今肺の怪我で感染リスクのバリ高い病院に行くの嫌だなーという怖さ(と、単なるめんどくささ)からちょっと様子を見ようと思った 痛いし呼吸も荒かったけど緊急事態宣言で大学に行く必要が無くて、かつその日夕飯のために近くのスーパー行ったけど家の階段上った時に息が浅すぎてゼェゼェなる以外はそこまで問題が無かったので、3年前とさほど変わらない、普通に生活できると感じて様子見をしようと思い立った

 

 

発症してから数日は、痛みがあって結構しんどかったが、「まあ3年前の肋間神経痛のときもこんくらい痛かったしな」と思って気丈に生きていた。自然治癒すればいいなあと思いながら様子を見ていたが、痛みは日が経つにつれてだんだんと引いていき、5日くらい経った時にはかなりマシになっていた気がする。キタキタ!!!これは自然に治るだろ、と思っていたが、普通に息苦しさと咳に関しては全く良くならず、この先2週間入院が始まるまで続くことになる。

 

1月24日~2月3日まで

 息苦しさと咳をかかえたまま過ごす。普通に考えてこの時点で痛みは自然に引いたけど息苦しさは治らんというのを自覚して病院に行くべきだったんだろうけど、なんか入院とかめんどくさくて行けてなかったです。本当に愚かな判断だと思う 後述しますけど手術した段階で肺の傷口?の状態はかなりひどくて、それが原因なのかわかんないけど手術は難航したらしいのでさっさと病院行ったほうがいいです

 

 一回ガチで救急車呼ぶか迷ったタイミングありました

 

2月4日(入院1日目)

どうしても大学に行かなきゃいけない用事があって大学へ行った この時には痛みはずいぶんマシになってたし、ゆっくり歩けば息苦しさも問題なかったので、家から駅行って電車乗って駅から歩いて大学まで行く分にはそこまで苦労しなかった 自宅の最寄り駅についたところで、せっかく外に出たんだしついでで病院行くかと思い立つ まあ気胸だろうけど痛みも引いたし今の自分の感覚的にそこまで重くないだろうしなーと軽い気持ちでいた(この後!緊急入院になります)

14:00頃 自宅の近くの呼吸器内科があるとこにいって先生に話を聞いてもらってレントゲンを撮ったら、バッチリ気胸であることが発覚した しかし想定外だったのが、おれの気胸は4段階レベルがあるうちで一番規模のデカい緊張性気胸の疑いがあるということで、紹介状書いてタクシー呼ぶからすぐ入院と手術できる病院行きなさいと言われてポカンとしてしまった その後すみやかに親に連絡した 故郷に住むお母さんがけっこう気が動転してていやまあすみませんという気持ちになりました

15:00頃 総合病院ついてからはそそくさと救急外来行かされて、その後2週おれの世話をしてくれる主治医の人が出てきて今日すぐ肺から空気抜く管入れちゃうからね!ということを言われた この時点で、あれ?今日このまま入院するんだと気づき、あっけにとられてしまった マジで大学の学務に用があってしてた適当な格好と持ち物でその後2週間を過ごすことになるとは思ってなかった

その後PCR検査やら採血やらレントゲンやらを済ませてしっかり肺から空気を抜く管を入れることとなった

17:00?頃 局部麻酔をして、脇の近くを切ってそこから管を押し込むような?形で管を入れられた 処置自体は麻酔とか管が入る感覚が不快だなーという感じでそこまでしんどくなかった けどなんか管が入り終わった時になんか呼吸が苦しくなって結構その時はしんどかった あれなんだったんだろ

18:00頃 ICU(いわゆる集中治療室です)に入れられる。ここまでの待遇を受けると思ってなかったのでかなり焦った こん時肺の管と、点滴と血圧計と鼻から酸素と心拍測定の胸につけるやつと体内酸素を測定する指先につけるやつつけられてました 夕飯は抜きで、一晩経ったら一般病棟に出られるらしいということを聞いて部屋に一人にされました 息苦しさとか咳自体は入院前からそんなに変わんなくて、ただただ色んな管が繋がってることが億劫でした あと肺の管は結構違和感あって嫌だった たまに来てくれる、その晩夜勤だった看護師さんが声が低くて一重でちょっとドライな感じで良かったです 看護師さんって本当に素晴らしい職業だということが分かったのが今回入院して良かった唯一の点かもしれません それからは24時くらいまで寝付けず、暇つぶしにネット大喜利の回答を考えたりしてました

 

2月5日(入院2日目)

あまりにも寝心地が悪くて寝たり起きたりを繰り返して翌日になりました 寝起きでレントゲンを撮られて、その後はごはんを食べられました 「ジャスミンさーん、なんかご飯食べられるらしいですよ」みたいな感じでご飯持ってきてくれた夜勤の方が本当に癒されました ご飯は普通においしかったです 吐き気とかもなかったので普通に全部食べました その後肺の管と点滴以外が外れて本当にうれしかったです そして、10時くらいに一般病棟に移りました

タイミングは忘れましたがどっかで主治医の先生が来て、一週間のうちに手術をすることと、手術をしてから一週間のうちに退院できると思うと言われました。スケジュール的にはそこまで困らなかったんですが、最長で2週間くらいいるのかよと思うと気がめいりました

一般病棟に移ってからは手術の日まで特に大きな出来事はなかったです 主治医の先生もたまに来ますが特に問題ない以外に言うことはなかったです

一般病棟に移ってからはこの先の入院の日々をどうしようか考えていました いかんせん緊急入院だったので… ひとまずテレビカードを買って、売店に行ってスマホのポータブル充電器&ライトニングケーブルセット(コンセントに繋げる充電ケーブル単体 はなかったです。なんで?)と歯磨きセットとマスクと水を買った気がします スマホの充電器はライトニングケーブルと電池で動く充電器のセットだったのですが、充電器がまったくダメで結局その後はたまたま持ってたコンセントで充電できるポータブル充電器に買ったライトニングケーブルで退院までしのぐことになりました こんなに多くの人が働いたり入院してる病院の売店なのになんで充電ケーブルの問題がしっかりしてないんだよとは思いましたが、どこにどういう手段で文句を言えばいいのか分からんかったので結局言わずじまいに終わりました

その日は入院の連絡を色んなとこにして、その後はスマホを見たりテレビを見たりネット大喜利を考えたりして終わりました 色んな人から大丈夫?などと連絡が来ててうれしかったです ありがとう その日に気づいたことは、メシはおおむね美味いことと、同じ病室のジジイはどうやら禁止されてるのに部屋で普通に通話をするぞ、ということでした 消灯時間の21時は全然眠くなかったんですけど無理やり寝ました 何回か目が覚めました

2月6日~8日(入院3~5日目)

午前中に手術が9日(手術6日目)であることを聞かされました なんか現実味ないけどやっぱ手術すんのねえ…という気持ちでいました 自然治癒とまでいかずとも、気胸はそこまで重くなければ肺に管入れるだけでいいのですが、そうでないとそもそもの原因である肺をどうにかこうにか手術しないといけなくなるらしいっす 実際連絡くれた友だちの中にも手術とかすんの?派とおれも手術したわ派がいました そのあとちょいちょい何回か手術の説明を受けることになるんすけど、全身麻酔が怖かったです おれは睡眠も結構怖いときあるし、意識を失うということ自体に恐怖心があるので、それを人為的に無理やりやらされるのはいくら医療のためとはいえ怖さがかなりありました 手術の日まで定期的に全身麻酔のレポを見まくってました 嫌だった…

手術のためにCTとかも撮りました 造影剤は結構副作用があるらしくて怖かったです なんともなかったけど 「注射した時体熱くなりますよ~」と言われて注射されて、腕が熱くなって、そのあとすぐ足元とかが熱くなって「け、、血液の巡りってはえーーーー」と思いました

手術の説明されたときは結構ドキドキもあったけどワクワクもありました 「まあこういう感じで副作用だったりもあるんですけど安全な手術なんてこの世にはないんで…」みたいな感じで説明を受けたんですけど、しっかり「〇.〇〇%の確率で死亡…」みたいなことが書いてて「えっ???〇人に1人は死ぬの???」と思ってギョッとしたりしてました 色んな前提があっての確率の数字だとはいえちょっと怖かったです

数日間は漫画アプリを落として適当にバクマンを読んだりして過ごしていました スマホに有線のイヤホンを繋ぐイヤホンジャックをうっかりその時持ってなかったのと、単にwi-fiが無いのとで音楽や動画が見れなかったのがしんどかったです

面会はコロナでかなり厳しくなってました おれは家族が近くに住んでいないので来ないでいいよと言ってはいたのですが、お姉ちゃんが仕送りを送ってくれてかなり助かりました。それこそ衣類やイヤホンジャックや本など、いろいろ送ってくれてかなり助かった なんせ緊急入院でしたから

あと、同じ部屋のジジイの一人がかなり文句垂れジジイだったのでそれが嫌でした ネームプレートで名前確認して検索したけど何も引っかからなくて悔しかった(どんな仕事してるのかとか知ってみたかった)

あと肺に管入ってる関係上お風呂に入れなかったんですけど、看護師さんが髪洗ってくれたんでそれは結構うれしかったです

2月9日(入院6日目)

手術当日です 手術が15時からで、ご飯が抜きだったのが嫌でした 飯がかなり楽しみになってたから 手術が怖くていろんな人とlineとかしてました

15時になって手術室に連れてかれて、バクバクしながら手術台に乗っていろいろして、麻酔と思しき注射をされた時点で気を失いました。明確に視界がボンヤリするのを感じて、さすがにギョッとして声を上げたんですが、「あ~れ~?ヤ~バ~…」みたいなザコの断末魔を上げたのを覚えています(そっから覚えてない)

そこから若干夢?みたいな映像を見てて(麻酔が切れかける時夢を見るそうです)気づいた時には手術が終わって手術室からベッドごと部屋まで運ばれるとこでした。

18:30頃 個室の病室に運ばれました。手術には3時間くらいかかったそうです(気胸の肺の手術でこんだけかかるのは珍しいらしい)そこから4時間は飲まず食わず動かずで安静にしていなきゃいけないというのを聞かされて部屋に放置されました

 

ここからが本当にキツかった!!!!

 

ただ単に4時間ベッドに横になっていればいいだけであればそこまでしんどくないように思えますが、まず第一に手術後で手術痕が結構痛むのがあり、そのうえで色んな管(肺の管、酸素マスク、点滴、胸から心拍を測定するやつ、指から酸素濃度を測るやつ、尿道カテーテル、血圧計、血栓ができないよう足をマッサージする機械)が体を覆っている影響で、姿勢を変えることもままならず全くリラックスできませんでした。それだけで済むならいいもんでしたが、麻酔の影響でか吐き気が止まらず、吐き気止めこそ打ってもらってましたが、夜中3回嘔吐してしまいました しんどかった というか4時間安静にしてても、変わることといえば酸素マスクが外れるのと水が飲めるようになること(あと血圧計も外れたかも?しっかり覚えてない)くらいで別に管が外されるわけではないので、翌朝の8時くらいまで同じ姿勢でずーーーっとじっとすることになりました 吐き気はするわ、管があるから眠れもしないわ、寝てもすぐ目が覚めるわで頭おかしくなるかと思いました 間違いなく今まで生きてきて一番キツかった夜でした

 

2月10日(入院7日目)

翌朝になって、一日ぶりにご飯を食べて(吐き気で全然食べれなかった)、ようやくいろんな管が抜かれて一般病棟に移ることになりました

尿道カテーテルを抜かれた時が衝撃的でした ネットで「抜くとき痛すぎる」「ヤバい」などの評判を見たことがあったので覚悟こそしてたのですが、本当に痛かったです チンコが炎を出したのかと思った 冗談ではなく、本当に「アーーー!!!!!」と叫んでしまいました なんというか、例えば骨折や打撲みたいな持続的な痛みはほとんどないのですが、瞬間最大風速がすごすぎるので、なんかジェットコースターに乗った気分に近かったです。若い看護師さんが抜いてくれたのですが、ガッ!!と勢いよく抜いた後「痛いですよね~(笑)」と軽い感じで言っていたので、「この人たちにとっては激痛が走るチンコから管を抜く行為は日常なんだ」と思うとス~ゴイんだからァ~~(ヤマメ)という気持ちになりました。

その日の朝まで最悪な気分だったのですが、いろんな管を抜かれて、肺の管だけになると案外楽になりました。身動きが取れないということが結構デカかったのかもしれない。大部屋に移った後は行動の制限もほぼなくなって、吐き気こそ少しあるけど昨晩に比べれば戻さないし全然マシって感じでした。晩にはご飯もしっかり食べられるようになって良かったです。

2月11日(入院8日目)

吐き気はすっかり治まりました。ヨイショ

スマホ通信制限にかかって暇でした。

レントゲンを撮ったところ、だいぶ良くなってると主治医に言われてよかったです。翌日の様子が良ければ肺の管を外して、その翌日には退院できると言われてホッとしました。

あと、手術の時結構酷くて手こずった旨を言われて、すんませ~んさっさと病院行けば良かったで~すと反省した

文句垂れのジジイが退院してかなりホッとしたんですが、すぐご飯を戻してしまうおじいさんとか、自力で動けないおじいさんとかが代わりに入ってきて、老いと病気について常に考えざるを得ない病室になっていて胸のざわざわは違う形でずっとありました。

文句垂れのジジイを最初に見た時は文句言うなよよくしてくれてんだからと思ってたのですが、自分の病気に対する不安とか、痛みや不快感などの病気の症状へのストレスや、仕事などを放っておいて病院で過ごさないといけない苛立ちを考えると、攻撃的になってしまうのも少し分かるかもしれないと感じました。病院ってほんとしんどいなーというのを認識したのと、医療に従事してる方ってマジですげえなとも感じました

2月12日(入院9日目)

変わりなかったです。

朝、肺の管を抜かれました。また麻酔とかするんかなーと思って憂鬱だったんですが、病室のベッドで麻酔も打たずにせーので抜かれてビックリしました

肺の管抜かれたら右に寝返りが打てることが本当にうれしかったです ずーっと左半身を中心とした生活をしていたから

その日は入院してから一番身軽に生活をしました 明日起きたら退院かーと思うと少し怖かったです すっかりここでの生活に慣れてたから 子供の頃、夏休みに少し離れたおばあちゃん家でしばらく過ごして、自分の家に戻る時みたいな気持ちだったかも 看護師さんみんな優しい人ばっかだったし、なんか一人でやってけんのかしらみたいな気持ちになってた ちょっと変だったかもしらん

2月13日(入院10日目)

起きて飯食って会計して退院しました。退院の時こんなに金かかったんだと思ってちょっとウケた

看護師さんに挨拶していくべきなのかな、と思ったんだけどナースセンターでみんな忙しそうにしてたからできませんでした 練習試合みたいに大声出さないと通じなそうだったし せめてICUで一晩つきっきりで世話してくれた一重の看護師さんはもう一度会いたかったな

10日ぶりに外に出たら解放感でちょっと泣きそうになりました 自分が今までどれだけ不安とかストレスとかを感じてたのかを実感した その日はラーメンを食べました 免疫力が低下してるのか口内炎ができまくってたから味あんま分かんなかったけどおいしかった

2月14~19日

問題なく過ごしました もう息苦しくない! 一週間経って診察にかかって、来月また来て問題なかったらもう来なくていいそうでうれしかったです いや~二度と気胸なんてかかりたくない